Aug 12, 2022

硫黄島渡島事業に参加してきました。

大田区議会議員のおぎの稔です。所属する日本青年会議所関東地区協議会国際人育成委員会の事業で8月9日に硫黄島に渡島してきました。

事業についてはこちら→https://www.jaycee.or.jp/2022/kanto/?p=1072

硫黄島は東京から1250キロ離れた洋上にある小さな火山島です。映画にもなったのでご存知の方も多いと思いますが第二次世界大戦末期、激しい戦闘の舞台となりました。硫黄島で行われた日本軍と米軍の戦いは、日本側は約2万名が戦死あるいは行方不明となり、アメリカ軍は戦死6800名を超える戦死、戦傷2万1千名で合計約29000名の損害を受けており、太平洋戦争後期の上陸戦でアメリカ軍側の戦死・戦傷者の合計が日本軍を上回った珍しい戦闘の場となったことも知られています。硫黄島には今も多くの遺骨が眠っており、遺骨収集事業も行われているところです。今も、当時住んでいた住民の方やそのご家族、子孫が自由に帰還、訪問できる状態でもないため、遺族や子孫の方々と一緒に渡島することも恒例となっています。自衛隊の入間基地から輸送機で硫黄島に渡島。日帰りでの渡島事業となりました。

●大砲の跡。島側から米軍を攻撃していましたが、反撃で破壊されました。

 

●擂鉢山にあるモニュメント。有名な米側の旗が立てられた場所に今、星条旗とそのレリーフが用いられたモニュメントが立てられています。

大規模な戦場となった硫黄島に勝者の側のモニュメントがこうしてしっかりと残されているのを見ると我々(の先祖)は負けたのだなと戦争があったこと、敗戦したことを実感します。

多くの犠牲がありました。77年と時が経った今、私たちは何を先達から学び、何を後世に伝えていくべきか考えさせられます。


●擂鉢山から見える米軍が上陸した海岸



●硫黄が噴き出す硫黄が丘。熱気もすごく硫黄特有のにおいもしました。

人の手もあまり入っておらず、まだ戦争の爪痕、戦争のあとがそのまま残された土地であり可能なら多くの方に見ていただきたいと思っています。普段はもっとたくさんの方が参加で来た硫黄島渡島事業。実はコロナ対策もあり、輸送機に乗れる人員が減った関係で渡島できる人数が大幅に減っておりました。青年会議所としては青少年健全育成事業の一環として実施してきた事業ですが、一方で参加できる方が減少している中、どうやって伝えていくべきかも大切な視点です。多くの方に伝えることも慰霊の一つだと思います。また遺族の方、ご子孫の方々も簡単には渡島できません。私は最近様々な事業でVRなどに携わってきたこともあり、青年会議所の委員会内で渡島事業のVR化を及ばずながら提案させていただきました。今後はこの渡島事業をVRで再現し、多くの方が硫黄島渡島事業を体験することができるように取り組んでいきます。

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