~離婚した親と子の話~(長文)
Facebookに書いたところ、たくさんの方から反響を頂いたため、ブログにも書きます。
私は、共に暮らしている家族の自殺を経験し、また自身がてんかんという持病を抱えながら生きてきました。
社会に出てからも、非正規雇用や日雇い派遣で、いわゆるワーキングプアと呼ばれる生活もしてきました。
その経験は、障害者福祉に取り組み、政治を志したことにも影響を及ぼしていると思います。
このブログは婚姻や離婚、制度、個人の選択について異を唱えているわけではありません。
ただ、家族が離れ離れになった際に生じる課題、課題を抱えた家族関係で育つことにより、
家族の構成員に負担、影響を及ぼす問題等、考え、相談・支援を拡充するべき点は多々あるだろうと思い、
私的な内容で、不勉強ではありますが、同じような環境で、まだ現在苦しい想い悲しい想いをしている方に少しでも届けばと想い。
あえて書かせて頂きます。
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先日、父の生みの親(母親)であり、父が小学校3年生くらいの時に離婚し、別の家族になった方のお見舞いに行ってきました。
(祖父はその後再婚。)
祖母と書きます。
祖母が父と別れてから50年余り。
全身に癌が転移し、余命数か月だろうという話がAさんの
親戚から父に入ったため、群馬から父が上京、大田区の隣の川崎市だったため、私も一緒に川崎市の病院に向かいました。
実は私も父も15年ほど前に1~2度だけ祖母に会っています。その時は中学生くらいでしょうか?
川崎大師の近くの家だったのを覚えています。
祖母の再婚相手の方も数年前から病気が悪化し、病院を転々としていました。
再婚相手の方との間には子どももおらず、近くに親類がいない事もあり祖母は倒れるまで一人だったようです。
私もおぼろげに覚えているのですが約15年ぶりに会った祖母は当時の印象とが全く違う痩せこけて寝たきりの姿でした。
病室に入った際、父の事を祖母は認識していなかったようで「誰ですか?」
と寝たまま訪ねてきました。
父が「判る?▲(父の名前)だよ?」と聞いても判らないようで、大きく紙に「▲(父の名前)」と書いて見せたところ。
祖母さんは大きく目を開いて
「ほんとうに▲ちゃんなの?」
「でも、▲ちゃんはこんな小さかったんだよ?」
と手を伸ばして両手で輪を作るような仕草をしました。
父の顔を何度も見ながら、手を握りながら
「本当に▲ちゃんなの?」
「でも▲ちゃんはもっと小さかったんだよ?」と何度も何度もつぶやいていました。
(本当は15年前に40代の父の顔を1~2度見ているのですが)
祖母の中では、父は50年前、祖父と離婚した際に川崎から群馬と離れ離れになってしまった時の父のままなのでしょうか?
目に涙を溜めながら
「▲ちゃん、▲ちゃん。」
「▲ちゃんに会いたい」とこぼしていました。
父が何度も「会いに来たよ。」「ここにいるよ」と話しかけても、目の前の男性が自分の息子だとは認識できないようで、「▲ちゃんに会いたい」とうわごとの様につぶやくばかり。
暫くして「父がもう行こう」と言うので私も病室を後にしました。
涙を流してはいませんが、鼻をすすって下を向く父の姿を見て、
私も少し認識が変わりました。
祖母は、50年前に祖父と離婚し一人息子の父と離れ離れになっています。
15年ほど前に一度、父と弟と私で川崎に泊まり込みに行ったことがあります。その年の夏にも海に行く途中に寄ったと思います(翌年だったかもしれませんが)。
それ以降、私も2~3度年賀状を出し、数回電話で話をしたくらいで父から危篤を告げられるまでは連絡もとっていませんでした。
(大田区に越してきた際、隣の川崎在住なので会いに行こうとは思い父に連絡先を聞いた際には、『もう別の家庭をもっているからと連絡先は教えてもらえませんでした。』)
祖母からも目立ったアクションはなく別の人生を、別の家庭を持っているのだから、特別、父や我が家族の事を気に留めてもいないのだろう。
と思っていましたが、今日の祖母の寂しそうな姿を見ると
何とも言えない気持ちになります。
先日、参加させて頂いた障害者と性の勉強会でも
「自分の子供の頃、家庭環境が良くなかった」
「だから、私は結婚をするつもりはない」と語った方がいました。
家族、夫婦に関わる事は、
当人以外にも影響を与え時に影を落とすものです。
本日の自らの体験だけをもとに、今、思いついたこと、
考えた事。
まとまりもなく、変わる事もあるかもしれませんが。
家族の事、離婚、離別、子供と親の事。
制度の事、支援の事。
家族間トラブルによる人格形成、精神的ストレス、虐待、
AC(アダルトチルドレン)や人間不信。
何が正しいのか、どうあるべきなのか、今ここでは結論は書けません。
色々と調べて、勉強をして行こうと思います。
(長文・乱文失礼しました。)
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具体的に何が出来るのか、何を学ぶべきなのかは、
様々な支援や立場、当事者の方から今後、お話をさせて頂き、また、私自身、勉強をしていければと思います。
追伸:9月20日、祖母の告別式に出席してきました。
子どもと別れ、苦しい人生も送った祖母かもしれませんが、そのご縁で
なかなかお会いするきっかけの持てなかった、祖母方のご親戚とお会いできました。
このご縁を大事にしていきたいと思います。